田中久実先生ってどんな人?

・日本語教師になったきっかけは何ですか?

実は私が日本語教師になったのは、いろいろな偶然が重なっていました。元々は英語教師を目指していたんです。イギリスの大学院で言語学を学んで、帰国後は英語教育に携わっていたのですが、他の国の人との交流が懐かしくて、日本語のボランティアを始めました。そこで、初めて「日本語教師」という職業の存在を知ったのです。そして偶然ですが、その時友人に勧められて日本語教師になるための試験を受けて、合格してしまいました。その時勤めていた学校が合わなくて辞めたいと思っていて、また海外に行きたいと思っていたところだったので、思い切って日本語教師として国外で働こうと決めたのです。ちなみに私のデビューは韓国の日本語学校で、その時はちょうど30歳になっていました。

 

今思うと、イギリスに英語教育を学びに行ったことが、逆に日本語教育を始めるきっかけになったのは面白いと思います。そして、友人の言葉がなかったら、今でも英語教師を続けていたかもしれません。でも言語教育という点では共通していたので、英語教育で学んだことは、日本語教育でも生かされています。

 

・日本語教師をしていて一番大変だったことを教えてください。                          

私は、韓国の日本語学校→日本の留学生の学校→ビジネスパーソンに教える学校→フリーランスと、いろいろな学校や勤務形態を経験して、それぞれの場所で苦労はあったのですが、一番大変だったことをあえて言えば、一番初めに働いた韓国の学校かもしれません。15年前です。小さい学校だったので、学校内の唯一の日本人で、初級から上級まで7クラスの会話授業を任されていました。

 

ボランティアで3年の経験があったとはいえ、仕事としてクラスを担当するのは初めてで、毎日休む時間がないくらい準備をしていました。学校には絵カードやフラッシュカードなど便利な教材などは一切なく、すべて自分で作らなければなりませんでした。周りに相談できる人もいないので、インターネットの情報だけが頼りでした。初めの半年くらいは精神的にもきつかったですね。生徒もどんどん減っていって・・・。教師に向いてない、教師を辞めようと思ったことは何度もありました。

 

でもこの時の経験のおかげで、「ないものは自分で作る」というのが当たり前になり、何事にも動じない精神力、どんな状況に置かれても臨機応変に対応できる力が身に着いたと思います。生徒たちの反応を見ながら、どんどんとやり方を変えていくのはだんだんと楽しみになってきました。やめるころには、教室に生徒がいっぱいになっていました。

 

帰国後に、日本の日本語学校で仕事を始めた時、豊富な教材や周りに相談できる人がいる環境を見て、「天国のようだ」と感じました。ただ、すべてが準備されている授業を担当するのは幸せですが、自分としては少し「物足りない」と感じます。今でも自分で教材を作るのは好きです。ただ、学生にも教師にもいつも「わからないときにすぐに人に聞くのではなく、まず自分で考えてください」と言っているので、意地悪で厳しい先生に見えるかもしれません。

 

・一番うれしかったこと/やりがいを感じることを教えてください。

この仕事をしていると毎日いろいろな発見があって楽しいのですが、あえて一番を言うとすれば、自分が教えた学生と、仕事を通して再会できることです。

 

実際にあったことですが、日本語学校を卒業して大学院に行ってその後日本の企業に就職した(元)留学生がいたんですが、私が勤めていた日本語学校の課外授業で、その会社を見学させてもらったことがあります。学校にいた時からとてもしっかりした学生さんでしたが、社会人になって、日本人の上司といい関係を築いて、その会社で活躍している姿を見て、これ以上ない幸せを感じました。実はお互いに、一社会人として学校外で再会する、というのは私が日本語学校に勤めているときの夢でした。また自分が教えている「日本語」が実際にその人の人生で役に立っているのを見るのも感慨深いものがありました。

 

・今取り組んでいることは何ですか?

私は2018年にキャリアコンサルタントという資格を取りました。キャリアコンサルタントと言うとよく誤解されるのですが、仕事の紹介をする職業ではありません。人によっていろいろな分野がありますが、私の職務はキャリア(特に仕事)に不安を持つ相談者の話を聞き、その不安を解消すること、そしてその人の価値観を尊重しながら進むべき道を一緒に話し合い、実現に向けて具体的な行動計画を立てていくことです。

 

私は日本語学校で勤務しているときに、特にビジネスパーソンに教えていた時に、多くの方の就職、転職の相談を受けてきました。そこで多くの外国人にとって日本語学校で日本語を学ぶということが、キャリア築くための手段であることを知りました。日本語能力の向上とキャリアの構築は切っても切り離せないものだと思います。それで、日本語教師で日本語を教えながらキャリアについてのアドバイスも同時にできる人が必要だと考えるようになったのです。

 

今後私がやりたいことは、キャリアについての相談ができる日本語教師という新たな職種を作ることです。まだ全国的にもこの分野はあまり一般的ではないと思います。日本語を教えるノウハウを習得して、次の段階に進みたいと思っている日本語教師のキャリアパスの一つとしてもこの分野を広めていく必要があると感じています。

 ・ずばり、プロの日本語教師とは?

私が思う日本語教師としてのプロフェッショナルとは、

「結果を出すこと」

これは、私が日本語学校は「教育業」ではなく「サービス業」であると考えるところからきています。これが教育であれば、「人を育てる」というところに重きが置かれ、結果はそれについてくるものと考えられるかもしれません。でもこれがサービス業であれば、学生は客であり、客が望む結果に対価を払っていると考えるので、その結果が得られない場合はその仕事はお金を払う価値がないと考えています。「自分はここまで頑張ったからいいだろう」とは絶対に言いません。まずは学生と話し合い、望む結果を得るための方法を一緒に考え続ける、そのためには自分自身も日々勉強し続けるというのが私の信念です。