「言い方」だけでは、人は育たない
人を「育てる」ための本を読むと、たいてい最初に出てくるのは「言い方」の話です。空気を読み、相手の自尊心を傷つけないように、否定せず、共感しながら、やわらかく伝える。確かに、それらはとても大切な視点だし、試してみる価値もあると思います。
一方で、やわらかい言い方ではどうしても通じない場面があります。どんなに工夫しても、相手にとって都合の良い解釈にすり替えられてしまったり、むしろ自尊心を過剰に刺激してしまったり、「ちゃんと向き合ってもらえていない」と感じさせてしまうこともあります。万人に通じるコミュニケーションのテクニックなど存在しない、それは、多くの現場で実感されていることではないでしょうか。
「嫌われ役」が必要な場面がある
だからこそ、どこかのタイミングで必要になるのが、「言うべきことを言う人」、いわば「嫌われ役」だと思います。一昔前を振り返ると、学校にも会社にも、必ずそういう人がいました。空気を読まず、思ったことをそのまま言い、時には怒り、今の基準で見れば「KY、配慮が足りない人」という存在。教師だったり、上司だったり、経営者だったりすることが多かったように思います。周囲の人は、そんな人を見て嘲笑したり、「あの人は空気が読めない」「立ち回り方を知らない」と距離を置いたりしていたかもしれない。
しかし年齢を重ねてから思います。あの人たちは、本当に空気が読めなかったのだろうか、と。むしろ、「ここで言わなければ、この人は一生、この意味づけを間違えたままになる」そう分かっていて、あえて空気を読まない“ふり”をしていたのではないか、と。自分が嫌われること。陰で笑われること。それを引き受けた上で、それでも伝える。それは決して楽な役回りではない。外国人材を受け入れる企業の現場でも、同じ構造があるように感じています。
嫌われるのを恐れるとどうなるか
文化や言語、前提となる価値観が異なると、「やわらかい言い方」は、必ずしも「正確な理解」につながりません。遠回しな表現は、意図が伝わらなかったり、相手の中でまったく違う意味づけがされてしまうこともあります。それでも、日本側が「嫌われたくない」「誤解されたくない」と思うあまり、本来伝えるべきことを濁してしまうと、外国人社員は気づかないまま、間違った前提で努力を続けることになります。そんなとき、誰かが勇気を持って、あえてストレートに伝える役割を引き受ける必要があります。それは「厳しい日本人」になることではなく、相手の将来を本気で考えるからこそ引き受ける「役割」です。
チームで働く強さは「役割を分担できること」
そして本当に大事なのは、その「嫌われ役」がいるかどうかではなく、
周りの人がそれにどう関わるかなのだと思います。相手の前で訂正したり、正しさを競ったりする必要はなく、後でその本人にこう伝えればいいのです。
「あの人、言い方はああだけど、悪気があるわけじゃないと思うよ」
「あなたにとって大事だと思ったから、ああ言ったんだと思う」
相手に「これは芝居だ」と気づかせないことが大切です。一人が嫌われ役を演じ、周囲がさりげなくフォローに回る。みんなで一つの“劇団”を作るように、役割を分担する。チームで働く良さというのは、全員が同じ言い方をすることではなく、こうした役割分担ができることなのかもしれません。人を育てるというのは、優しい言葉を選ぶことだけではなく、誰かが嫌われる覚悟を持ち、誰かがそれを支える覚悟を持つこと。その両方が揃って、はじめて外国人と協働する組織は、少しずつ強くなっていくのではないでしょうか。
昭和のような考え方かもしれませんが、当たり前だったことを取り戻すことで、上手くいくこともあるのではないか、そんな風に思っています。

